2014年06月06日

第9回:蕎麦屋とヴァイオリン 〜その1〜

無類の蕎麦好きである。
美味そうな蕎麦屋があればどこでも一人で入り、堪能する。
また、自宅でも良く作る。
薬味には、通常の葱や山葵のほか、必ず入れるのはミョウガ、大葉、海苔、ゴマ。
時にはそこに大根おろしとオクラ。場合により納豆。
これでもか、というくらいに大量に入れ……
……このままだと料理ブログになりそうなのでやめておく。


職場のすぐ近くに、食券タイプの蕎麦屋がある。
殆どが500円以下だがなかなか美味しく、安く早く済ませたいときにはもってこいの店だ。
ところがこの蕎麦屋、毎回BGMが変わっている。
何度か通ううちに、大きく2パターンがあることが分かった。

【パターンA】
・Thanatos - If I Can't Be Yours の弦アレンジ版(エヴァンゲリオンのサントラ)
・TAKUMI(なんということでしょう、のときのあの曲)
・ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア(浅田真央選手でおなじみ)
・情熱大陸
・ソング・オブ・ライフ (世界遺産のテーマ)
・世界の車窓から

【パターンB】
・威風堂々(エルガー)
・木星(ホルスト)
・カノン(パッヘルベル)
・弦楽セレナード 第1楽章(チャイコフスキー)

おそらく、Aパターンはアルバム「イマージュ」がベースであろう。
(Thanatosがイマージュに入っていた記憶はないのだが…)

もともとすべて好きな曲だ。
蕎麦は美味しい、曲も良い。
それなのに、どうにもこうにも落ち着かないのだ。
この違和感はなんだろう。
それなら蕎麦屋にはなんのBGMが合うのかと考えてみたが、すぐに思い浮かばない。

そういえば、ほかの蕎麦屋ではどんな曲がかかっていたっけ。
残念ながらこれも全く思い出せない。

気になった私は、現地調査に出かけることにした。
……けして蕎麦が食べたいだけではない。

つづく。

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オムニバス

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posted by sumi at 09:11| Comment(0) | 音楽日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月02日

第8回:サウンドロゴ

数日前の夕暮れ、近所を散歩していたときに聞こえてきた豆腐屋のラッパ音。
久々に聴いたその懐かしさに、思わず音を追いかけて角を曲がる。
目に飛び込んできたのは、白いトラックと、その窓から見え隠れするラジカセ。
竿竹屋やリサイクルショップのトラック同様、販売車から録音されたラッパ音を流していたのである。
あまり口にはしたくないが、思わず「時代は変わったな」と感じた一コマであった。


ところで、「サウンドロゴ」という言葉が確立されて久しい。
Wikiによれば
サウンドロゴ (sound logo) とは、企業が、CMなどにおいて、
自社の呼称や商品名などにメロディを付けたりあるいは音声や効果音などの音響でアピールして宣伝効果を高める、これまでになかったブランド手法である。

だそうだ。

たとえば、食品メーカーのサウンドロゴを思いつくまま書き出しても
「ナビースコ(♪ラドー ラド)」 「グ・リ・コ(♪ラソソ)」や 「チョーヤ(♪ソー ド)」など
耳になじみがあるものが多いだろう。
(ちなみにこの3曲はすべて女性コーラス)

歌詞のない、ほんの数音のみで企業をイメージ付けるサウンドロゴも多い。
例としては、シロフォンのような音で「ド#ファ#ド#ソ#」と鳴る、インテルのサウンドロゴ。
・・・歌詞がないものの場合、その音色も強く記憶に結びついているはずなので、
字面にすると非常に分かりにくい点は申し訳ない。

最近では、ファミリーマートが初音ミクを起用し、
店内に入るときの「♪ド#ラミラシミーミ シド#シミラー」
という曲に「ファミファミファミーマ ファミファミマ」という歌詞をつけたことがある。
現在は、歌詞はなくなり元に戻ったが
これ以降、入店するたびにこの歌詞を頭の中で再生してしまうのは…私だけではないことを祈りたい。
ともかく、サウンドロゴというのは身近に溢れかえっているのだ。


そう考えると、豆腐屋のラッパというのも一種のサウンドロゴと呼べるのではなかろうか。
歌詞はなく、ほんの2音のみのシンプルな音楽。
誰が聞いてもすぐに豆腐屋と分かり、頭の中には「とう〜ふ〜」と商品名が歌詞で浮かぶ。


あれはまだ、私が保育園か、小学生の頃。
夏の夕暮れ時に、ほぼ毎日聞こえていた音だ。
使い込まれた真四角の木箱を荷台に乗せた自転車にまたがり、錆びれた金属のラッパを吹きながら、
豆腐屋のおじさんが現れる。
ラッパ音が聞こえれば、母から50円と金属のボウルを渡され、
家の前で待っているおじさんのもとへ急ぐ、小さな私のお使い。

硬いツバのある帽子から見え隠れしていた白髪混じりの黒髪は、いつしか真っ白になった。
あのおじさんが来なくなったのは、幾つの時だったか。

ふとそんな幼き日の風景を思い出し、それがトラックに変わった今を思う。
それでも、きっとこの先も、あの音だけは変わらないだろう。

次にあのトラックに出会えたら、豆腐を買おう。
だけどもしできたら、その機会は、少しだけ涼んだ夏の夕暮れに訪れてほしい。
私の勝手な我侭である。


posted by sumi at 21:45| Comment(0) | 音楽日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする